







旅の始まりは「蔦かづら」 永田 良
昭和37年(1962年)、私は夢野台高校に国語科教員として着任しました。28歳でした。
翌年配属された学年は18回生で、1年10組の担任でした。
当時の学級写真の中の私は、左横の女子生徒の、おまけにあろうことか廣田校長の領域にまで大股を広げてレンズに向っています。県下有数の伝統校での初担任という意識が、こんな気負った姿勢になったのかもしれません。その後私は11年間夢野台高校に勤務し、19回生、22回生、25回生、26回生と5つの学年、全部で10学級の担任を務めました。すべての学級に愛着があります。私は国語科教員ですから、教科指導というフィールドでは若輩ではあるけれども専門家だと思っていました。しかし、学級担任という分野は別です。私の出身学部、文学部には「学級担任法」などという講座はありませんでした。30歳前後の若手教員だった私にできることは、生徒たちと同じフィールドに立つことだったのです。彼らより年齢は上ですから指示や指導めいたことは必要に応じて遠慮なくやりましたが、根っこにはアマ意識がありましたから、とにかく何でも一緒に考え、一緒に喜び、一緒に悩むということにほとんど抵抗がありませんでした。むしろ学級担任をするということを楽しんでいたと思います。もちろん尖がった生徒、逆に気力の乏しい生徒など、一様ではありませんでしたが、多くは協力的でした。これは保護者の方々についても同様でしたから、私のような者でも務まったのでしょう。
この文章を書く過程で、あらためて数えてみたところ、50年間に及ぶ私の教員生活中に、公立・私立合わせて30学級で担任をしてきたことがわかりました。そしてその出発点はまぎれもなく夢野台高校で、あえて言えば18回生1年10組です。あらためて学級写真を見直しました。30学級を担任するとはこの時点では思ってもいなかったでしょうが、私の人生は担任という仕事のおかげでずいぶんと豊かなものになりました。
還暦・古希・喜寿を越えた昔の若者たちと、卒寿の私は今も折に触れて集まっています。天下国家を論じるわけでもなく、ただたわいもない話をするのですが、同じフィ-ルドに立っていると感じる時、無性に嬉しくなるものです。
教師としての原点である夢野台高校創立100周年という慶賀のおかげで、学級担任のことに思いをはせることができました。すべてに感謝いたします。ありがとうございました。


2024年12月7日 ミント神戸 京県楼 にて 有志参加者9名で 忘年会を行いました
90歳になられた永田先生を中心に もうすぐ70歳の古希を迎える同級生8名が集いました
日時 2024年10月12日 13:00 から 15:00
場所 ヘリアンシス
参加者 46名
先生方 永田先生 中植先生
1974年に卒業してから 50年が経過し 後1年余りで、古希を迎える年齢になりました。
2024年10月12日に実施された 今回の同期会が、26回生全員で行う同窓会としては最後の開催となるとのことでした。
その写真画像を編集しまとめました。
2025年12月13日 ミント神戸 京県楼 にて 有志参加者10名で
忘年会を行いました
91歳になられた永田先生を中心に 70歳の古希を迎えた同級生9名が集いました
永田先生が編集されていた学生時代の写真を引継ぎ デジタル画像に
編集いたしました。
2025年10月11日 神戸 ホテル オークラ 平安
盛大な 夢野台高校 創立100周年の記念式典でありました
総勢 250人ぐらいは集まっていたと思います。県立第二高等女学校
の先輩方をはじめ 県立夢野台高校の各回生からまんべんなく参加
されておりました。我が26回生は5名の参加でありました。
今回初めて 県立第二高等女学校の校歌を聞かせていただきました。
永田先生 立田先生 ともお会いできました。
各方面で活躍されている卒業生の紹介もありました。
Y32 元KBS西川アナウンサー
Y40 尾崎さゆり さん (かつみ さゆり )
Y43 陸上競技 朝原 さん
Y66 MBS清水アナウンサー
会場で配られた 創立100周年記念誌 には 各界で活躍されている
卒業生の方々の記事が掲載されています。 掲載されていない卒業生も
各方面でまだまだ 活躍されているとのことでした。
卒業から約50年が経過して初めて、電研OBOG会が開かれました。
JA3YUPというコールサインでアマチュア無線局を運用して活動していましたがいつ廃局 廃部になったかは不明です。今回 24回から32回のOBOGの中から9名の方々の参加で 第1回 電波研究部OBOG会を開くことができました。